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大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)10978号 判決 1990年5月11日

主文

一  反訴被告らは、反訴原告に対し、各自一〇三三万九〇二六円及びこれに対する昭和五九年一一月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  反訴原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を反訴被告らの連帯負担とし、その余を反訴原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  反訴請求の趣旨

1  反訴被告らは、反訴原告に対し、各自四七七七万四四九七円及びこれに対する昭和五九年一一月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は反訴被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  反訴請求の趣旨に対する答弁

1  反訴原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は反訴原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  反訴請求原因

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和五九年一一月二〇日午前〇時五分頃

(二) 場所 大阪市城東区蒲生三丁目一五番三号先国道一号線路上

(三) 加害車 普通乗用自動車(なにわ五五せ二六四六号)

右運転者 反訴被告村上鶴由(以下「反訴被告村上」という。)

(四) 被害車 普通乗用自動車(大阪五五か四九五八号)

右運転者 反訴原告

(五) 態様 被害車が、本件事故現場である交差点手前において信号に従つて停止中、加害車に追突された。

2  責任原因

(一) 反訴被告村上

反訴被告村上は、前方不注視の過失により本件事故を起こしたものであるから、民法七〇九条に基づき、本件事故により反訴原告に生じた損害を賠償する責任がある。

(二) 反訴被告ハラダ塗装株式会社

反訴被告ハラダ塗装株式会社(以下「反訴被告会社」という。)は、本件事故当時、加害車を保有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故により反訴原告に生じた損害を賠償する責任がある。

3  受傷の状況、治療経過、後遺障害

(一) 受傷および治療の経過

反訴原告は、本件事故により、頸椎捻挫、腰椎捻挫等の傷害を負い、次のとおりの治療を受けた。

(1) 福西外科診療所

昭和五九年一一月二〇日通院(一日)

(2) 植田病院

ア 昭和五九年一一月二一日から同月三〇日まで通院(実通院日数五日)

イ 昭和五九年一二月一日から昭和六〇年四月三〇日まで入院(一五一日)

ウ 昭和六〇年五月一日から昭和六一年九月三〇日まで通院(実通院日数四一八日)

(二) 後遺障害

反訴原告は、昭和六一年九月三〇日、後記の後遺障害を残して症状が固定したと診断され、右後遺障害は、自賠責保険の関係では、後遺障害別等級表一四級一〇号に該当するとされたが、各後遺障害を併せると、同表五級に該当するというべきであり、反訴原告は、このため特に軽作業しか従事できなくなつてしまつた。なお、反訴原告は、その後、大阪労災病院で頸部挫傷後頸椎後縦靱帯骨化症と診断され、一般事務職の軽労働としても労働能力は半分とされ、本件事故前に反訴原告が有していた労働能力に比して八割以上の労働能力が失われているから、反訴原告の後遺障害は、このことからも少なくとも五級に相当するといえる。

(1) 脊柱の著しい運動障害(六級五号)

(2) 肩、手、膝の各関節の著しい機能障害(一〇級一〇号が二つ、一〇級一一号が一つ)

4  損害

(一) 治療費 二八三万六一八六円

昭和六〇年一月一日から昭和六一年九月三〇日までの植田病院における治療に右金額を要し、これを反訴原告において負担した。

(二) 植田病院文書料 六〇〇〇円

(三) 入院雑費 一八万一二〇〇円

一日当たり一二〇〇円として一五一日分

(四) 通院交通費 一四万三八二〇円

植田病院に四二三日間通院したところ、一日当たりの往復の交通費は三四〇円であるので、通院交通費の合計は一四万三八二〇円となる。

(五) 休業損害 八七二万一七二九円

(1) 給料分 七八七万一〇〇〇円

反訴原告は、本件事故当時、北港タクシー株式会社にタクシー運転手として勤務し、一日当たり一万一五七五円の収入を得ていたところ、前記受傷により、昭和五九年一一月二〇日から昭和六一年九月三〇日までの六八〇日間、休業を余儀なくされた。したがつて、その間の反訴原告の休業損害は次のとおり七八七万一〇〇〇円となる。

11,575×680=7,871,000

(2) 衣料品店経営分 八五万〇七二九円

反訴原告は、右のとおり、タクシー運転手として稼働する傍ら、自宅において衣料品販売業を営み、本件事故前の一年間に五二万七三一二円の純益を得ていたところ、前記受傷により、昭和五九年一一月二〇日から昭和六一年九月三〇日までの間、休業を余儀なくされ、そのために八五万〇七二九円の休業損害を被つた。

(六) 商品損害 二〇一万五八三一円

本件事故による受傷のため、反訴原告は稼働不能となり、前記衣料品販売業を廃業せざるを得なくなり、そのため二六六万二一四二円相当の商品がスクラツプ化したが、そのうちの二〇一万五八三一円を請求する。

(七) 後遺障害による逸失利益 一九二七万四四〇七円

前記のとおり、反訴原告は、本件事故により、五級に該当する後遺障害が残つたものであるから、その就労可能年数六年間にわたり、労働能力の七九パーセントを喪失したものである。

本件事故前一年間の反訴原告の収入は四七五万二二三七円であるから、これを基礎に反訴原告の被つた逸失利益の現価を算出すると、次のとおりとなる。

4,752,237×0.79×5.134=19,274,407

(八) 慰謝料

(1) 入通院分 三五〇万円

(2) 後遺障害分 九四三万二〇〇〇円

(九) 弁護士費用 三〇〇万円

(以上合計 四九一一万一一七三円)

5  損害の填補 一三三万六六七六円

(一) 労災保険から休業補償として 六一万六六七六円

(二) 自賠責保険から 七二万円

(残請求額 四七七七万四四九七円)

6  結論

よつて、反訴原告は、反訴被告らに対し、損害賠償として、各自四七七七万四四九七円及びこれに対する不法行為の日である昭和五九年一一月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  反訴請求原因に対する認否(反訴被告ら)

1  反訴請求原因1の事実は認める。

2(一)  反訴被告村上

同2(一)のうち、反訴被告村上に前方不注視の過失があつたことは認める。

(二)  反訴被告会社

同2(二)のうち、反訴被告会社が本件事故当時、加害車を運行の用に供していたことは認める。

3  同3(一)のうち、反訴原告が頸椎捻挫、腰椎捻挫の傷病名で、その主張のとおり入通院したことは認めるが、本件事故による傷病の治療のためであつたことは否認する。

同3(二)のうち、反訴原告の症状が昭和六一年九月三〇日に固定し、その後遺障害が自賠責の関係で一四級一〇号に該当すると認定されたこと及び反訴原告が大阪労災病院で頸部挫傷後頸椎後縦靱帯骨化症の診断を受けたことは認めるが、反訴原告主張の後遺障害と本件事故との因果関係は否認する。

反訴原告の症状のうち、肩の運動制限はいわゆる五十肩であり、本件事故と直接の関係はなく、また、その余の症状も、老年性の変形に起因するもので、本件事故との因果関係は認められない。

4  同4について

(一)の植田病院の治療費が原告主張の額であることは否認する。

(五)(2)の反訴原告が衣料品販売業を営んでいたことは否認する。

その余の損害は不知ないし争う。

5  同5の事実は認める。ただし、反訴原告は、自認するもののほか、抗弁2(二)、(三)(2)(3)の填補を受けている。

三  抗弁

1  寄与度減費

仮に、反訴原告の症状と本件事故との因果関係が認められるとしても、反訴原告には、もともと後縦靱帯骨化症の身体的素因があつたのであり、それが本件事故前から顕在化していたか、そこに外傷が加わつたことにより手関節や足関節の運動制限等の症状が発症したものである。

そして、前記のとおり、肩の運動制限は、本件事故と直接の関係がないところ、反訴原告は、自分の症状の全てを本件事故に起因するものと思い込み、医師の客観的な説明に対してもそのことを頑固に主張するなど、心因的な要因があることも認められる。

したがつて、原告の損害額を算定するに当たつては、福西外科診療所の治療費一万六九四〇円及び植田病院の治療費三九一万九一五四円を総損害に加えたうえ、右の諸要因を斟酌して反訴原告の損害額から減額すべきである。

2  損害の填補

反訴原告は、次のとおり損害の填補を受けている。

(一) 自賠責保険から七二万円

(二) 訴外日動火災海上保険株式会社から休業損害として三〇四万八〇〇〇円

(三) 東大阪労働基準監督署から

(1) 休業補償給付金 六一万六六七六円

(2) 休業特別支給金 八三万三二八二円

(3) 療養補償給付金 二七八万六八一二円

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認する。

2  同2のうち、(一)、(二)及び(三)の(1)、(2)は認め、(三)(3)は知らない。

ただし、休業特別支給金は、損益相殺の対象とはならないというべきである。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生及び反訴被告らの責任

請求原因1(本件事故の発生)の事実、同2(反訴被告らの責任)のうち、本件事故発生につき反訴被告村上に前方不注視の過失があつたこと及び反訴被告会社が本件事故当時加害車を自己のために運行の用に供していたことは、当事者間に争いがない。

したがつて、反訴被告村上は民法七〇九条に基づき、反訴被告会社は自賠法三条に基づき、本件事故により反訴原告に生じた損害を賠償する責任がある。

二  反訴原告の受傷内容、後遺障害

1  症状の経過等

反訴請求原因3(一)のうち、反訴原告が頸椎捻挫、腰椎捻挫の傷病名でその主張のとおり入通院したこと、同3(二)のうち、反訴原告の症状が昭和六一年九月三〇日固定し、反訴原告の後遺障害が自賠責保険の関係で一四級一〇号に該当すると認定されたこと及び反訴原告が大阪労災病院で頸部挫傷後頸椎後縦靱帯骨化症の診断を受けたことは当事者間に争いがなく、これに前記一の争いのない事実、成立に争いのない甲第二、第五号証、乙第二号証の一、二、第三号証の一ないし四、第四号証の一、二、第六、第二三号証、第二四号証の一、第二五ないし第三〇号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第三号証、第六、第七号証の各一、第八号証の一、二、第一〇号証の一ないし三、第一一号証、第一二号証の一、二、乙第七号証の一、二、第八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものであることが認められる乙第四号証の四ないし七、第一一号証、弁論の全趣旨により原本の存在及び成立が認められる甲第六号証の二、三、第七号証の二ないし四、第八号証の三ないし五、証人植田雅治及び同天野敬一の各証言、反訴原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる(なお、各項末尾の括弧内に掲記した証拠は、当該事実の認定に特に用いた証拠である。)。

(一)  反訴原告は、大正一〇年八月二日生まれの男性で、本件事故当時、北港タクシー株式会社にタクシー乗務員として勤務していた。反訴原告は、高血圧症と指摘されていたが、それ以外に顕在化した持病はなく、本件事故当時、健康であつて、病気等で勤務を休んだこともなく、同社での営業成績も常に上位であつた。

(乙一一、反訴原告5項)

(二)  反訴原告は、昭和五九年一一月二〇日午前〇時五分頃、信号待ちで停止中に加害車に追突されたが、そのときの衝撃は、被害車の左後部が潰れ廃車となるほどのものであつた。

(反訴原告1、2項)

(三)  反訴原告は、本件事故後、福西外科診療所に救急搬送されて手当てを受けたが、その翌日に植田病院で診察を受け、左上肢の痺れ、頸部痛、腰部痛を訴えて、頸椎捻挫、腰椎捻挫と診断された。なお、このとき、頸部・腰部のレントゲン所見や脳波検査では特段の異常は認められないとされた。

反訴原告は、同月二六日に再診を受けたが、同日から頸椎の牽引が開始され、同月二七日、二八日、三〇日と通院した後、同年一二月一日から入院するに至つた。そのときの反訴原告の主訴は、左腕の痺れ感、右足の痛み、不眠等であり、嘔気、頭痛、眩暈等の訴えはなかつた。

反訴原告は、同病院で点滴、注射(静脈、皮下筋肉内)、投薬、頸椎牽引等の治療を受けたが、その症状は当初からほとんど変わらず、非常に慢性的に経過し、症状の顕著な改善のないまま、昭和六〇年四月三〇日に退院した(それまでの入院一五一日間)(植田病院のカルテは、極めて杜撰といえるもので、医師による症状所見の記載は乏しく、反訴原告の症状の経過を具体的に把握することは困難であり、また、看護記録の症状経過欄も、入院当日の記載と退院直前の二日についてのごく簡単な記載しかない。)。

なお、植田病院では、入院期間中、点滴、注射等をほぼ連日行つていたほか、反訴原告の症状とは関係がないと考えられる種々の検査を相当回数行つており、これらのこともあつて、入院中の治療費は、相当高額となつている。

(甲五の三、一〇の一、二、植田証言二丁裏)

(四)  反訴原告は、植田病院退院後も同病院に頻繁に通院して治療を受けていたが、その症状は、昭和六〇年春頃には一進一退となつており、植田医師が、医学的にみて五月中には症状固定である旨を反訴原告に説明したが、反訴原告は、納得せず、自分では固定していないように思うからもう少し治療を続けてほしいと希望し、その治療が継続されることになつた。

そして、反訴原告は、その後も通院して投薬、注射(皮下筋肉内、静脈)、頸椎牽引、超短波等の治療を受け(なお、レントゲン検査、脳波検査等も相当回数行われた。)、後記のとおり、昭和六一年九月三〇日、植田医師によつて症状が固定した旨の診断がなされた(昭和六〇年五月一日からの通院実日数四一八日)。

右通院期間中、反訴原告は、頸→腕→腰→下肢全体にかけて疼痛及び疼痛による運動制限を訴え、その症状は頑固であるとされていたが(昭和六一年二月末及び三月末の診断書)、障害厚生年金受給資格の認定のために作成された同年五月三〇日付の診断書では、両上肢の反射は正常であるが、頸部及び胸腰部の後屈(伸展)不可能、胸腰部の前屈(屈曲)やや障害、頸部・腰部ともに左右の捻転不可能、左腕の痺れ、手指関節、肩関節等の運動制限のほか、耳鳴り、不眠が認められると診断され(反訴原告の自覚症状はこれよりも相当強い。)、この診断に基づき、反訴原告は、昭和六一年五月、障害厚生年金三級一二号の受給資格を認められた(なお、通院期間中の反訴原告の症状についても、カルテにほとんど記載がなく、右所見や検査結果についても、対応する日時欄に記載がなく、カルテの記載からはこれらの所見等は明らかとならない。)。

(乙二、三、四の一ないし七、乙八、植田証言一四丁表~一五丁裏)

(五)  反訴原告の症状は、昭和六一年九月三〇日、植田医師により、傷病名を頸・腰椎捻挫とし、自覚症状として両頸→両肩→背→両腰→両下肢にかけての疼痛が残り、他覚症状・検査結果はレントゲン写真上著変なし、脳波異常なし、イートン・スパーリングテストプラス、両ラセグ陽性であるが、自覚症状は頑固で、将来の見通し困難(長期間の治療歴からみて、好転はむずかしいと考える)と診断された(甲六の一の後遺障害診断書。なお、このときに症状固定とすることについても、反訴原告は納得しなかつたが、やむを得ないと考えたようである。)。

そして、右後遺障害は、昭和六二年四月三日、頸部に神経症状を残すものとして一四級一〇号と認定された(甲六の二)。これに対し、反訴原告は、同年八月三一日、右認定を不服として異議申立てをしたが、同年一〇月二六日、神経症状について他覚的所見に乏しいとして既認定のとおりとされた(甲七の一ないし三)。反訴原告は、再度の異議申立てを行い、その際、前記の自覚症状、他覚症状・検査結果に加え、頸椎、腰椎の運動障害、肩・足・手関節の機能障害を記載した植田医師の昭和六二年七月三一日付の後遺障害診断書(甲八の二)を提出したが、昭和六三年一月五日、同じく既認定のとおりとされた(右のとおり、反訴原告には、頸椎の運動制限等があるとされているが、カルテにはこの診断書に記載された検査結果に対応する数値の記載はないのみならず、前記症状固定時あるいは昭和六二年七月頃検査したことも窺えない。)。

(甲五の三、六の一、二、七の一ないし三、植田証言一五丁~二〇丁)

(六)  反訴原告は、前記症状固定とされたのちも植田病院に通院して治療を受けていたが、植田医師(植田病院院長)が、交通事故を偽装した多額の保険金詐欺事件に加担し、虚偽の診断書を乱発したり、架空の入院証明書を発行するなどした(なお、同医師は、一部の入院患者のカルテを一週間先まで記入することもしていた。)として逮捕され、同病院での治療を継続できなくなつたことから、反訴原告は、昭和六三年一月二二日から大阪労災病院で治療を受けるようになつた。

同病院では、頸部の運動制限及び運動時の左肩への放散痛、頸部から上肢の痛み、手がだるい、震える、肩の運動制限と痛み、下肢の挙上時の痛み等の症状を訴え、四肢の腱反射は正常であり、知覚障害は検出されず、また、肩及び腰椎のレントゲン所見上異常は認められなかつたが、頸椎のレントゲン所見上、頸椎に後縦靱帯の骨化が認められ、CTスキヤンの検査の結果、反訴原告には、第四頸椎を中心に第二ないし第七頸椎に後縦靱帯の骨化が明らかに認められるとされた(なお、胸腰椎にも骨化が認められると診断されている。)。そして、同病院の天野医師は、昭和五九年一一月二二日に植田病院で撮影されたレントゲン写真からも、第三頸椎から第六頸椎に後縦靱帯の骨化が認められることから、これは本件事故前から存在していたものであり、また、反訴原告が本件事故前には後縦靱帯骨化症に伴う症状はなかつたと述べていたことから、反訴原告の訴える頸部運動制限等は、後縦靱帯の骨化により脊髄が圧迫を受けて麻痺を起こしやすい状態になつていたところに衝撃が加わつて発症したものであり、頸部挫傷後頸椎後縦靱帯骨化症と診断した(ただし、外傷による頸部の神経の刺激による症状が生じている可能性もあり、それと頸椎後縦靱帯骨化症の症状と明確には区別できないとしている。)。なお、同医師は、肩関節の運動制限は、いわゆる五十肩によるものであり、本件事故とは直接の関係はないが、五十肩は、いろいろな環境が悪化して起こりやすい状態になるものであり、反訴原告は、本件事故後、相当期間経過してから大阪労災病院で治療を受けているため、正確な判断はできないとしている。

反訴原告は、同病院において、消炎鎮痛剤の投与、頸椎牽引、ホツトパツク、頸腕体操等の治療を受け、初診時に比べ握力は改善されたが、症状に顕著な改善は見られず、平成元年二月ないし三月の時点で、頸椎に後屈(〇度)、左回旋(二〇度)、左側屈(五度)を中心とした運動制限が認められ、その運動時痛と頸背部痛のほか、易疲労感、耳鳴を訴え、また、左肩側挙(一〇〇度)、前挙(同)、外旋(一五度)の運動制限及び運動時痛、手関節、足関節の機能障害も残つている。一方、四肢腱反射はだいたい正常で、著明な筋力低下は認められなかつたが、右手Ⅰ~Ⅴ指に対立障害あり、歩行時の下肢のつつぱりを訴えた(ただし、知覚障害は検出できず。)ほか、不定愁訴が多いとされている。

(乙二四の一、乙二五、二六、天野証言五丁以下)

2  反訴原告の症状と本件事故との関係

以上認定の事実によれば、反訴原告は、本件事故前から後縦靱帯の骨化という身体的素因を有していたが、特段これに伴う症状は顕在化していなかつたところ、後縦靱帯の骨化により脊髄が圧迫を受けて麻痺を起こしやすい状態になつていたところに衝撃が加わつて頸部運動制限、手関節、足関節の機能障害等の症状が発現したものであり、反訴原告の訴えるこれらの症状と本件事故と因果関係があることは明らかであつて、植田病院では、この点を見落として、頸部捻挫、腰部捻挫としての治療を行つていたものと認められる。

ただ、肩関節の機能障害については、前記天野医師の所見に照らし、本件事故との相当因果関係は認められないというべきである。

3  反訴原告の後遺障害の程度

前認定の反訴原告の症状の発症原因、その内容、程度、特に、反訴原告の症状は、脊髄の障害による面が強く、他覚的な所見も認められること、天野医師は、反訴原告は、前記症状により、中等度以上の肉体労働や細かい神経を使う事務職に従事することは不可能で、軽労働のみが可能であり、神経系統の機能障害として後遺障害別等級表の九級相当と判断していること(乙二四の一、天野証言一〇丁)に照らすと、その後遺障害の程度は、全体的に見て、「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」(後遺障害別等級表九級一〇号)に該当しあるいはこれに準ずるものと認めるのが相当である。

この点について、反訴原告は、脊柱の運動障害、肩関節、足関節等の各関節の機能障害を別個に評価して併合認定をすることを主張しているが、まず、肩関節の機能制限については、本件事故との相当因果関係は認められず、前記認定の事実によれば、反訴原告の依拠する植田医師の機能障害の検査結果は直ちに採用でないものであつて、大阪労災病院での診断結果に照らすと、反訴原告主張のような運動障害ないしは機能制限の程度とは認められないというべきである。そして、前記発症の原因を併せ考えると、反訴原告の各症状は、脊髄の障害に関連するものとして、これらを一体としてとらえて評価するのが相当であり、この点についての反訴原告の主張は採用できない。

また、前記のとおり、反訴原告の後遺障害は、自賠責保険の関係では、一四級一〇号に該当するとされたものであるが、これは、頸椎後縦靱帯骨化症を見落とした植田医師の後遺障害診断に基づくものと考えられ、前記調査事務所の判断も前記の結論を左右するには足りないというべきである(同様に、他覚的所見を重点的に考えれば一四級、自覚症状を主に取り上げれば一二級というような印象であるとする植田証言(一八丁表)も採用しない。)。

4  素因等の寄与

反訴被告らは、反訴原告には後縦靱帯骨化症という身体的素因があり、これが反訴原告の症状に大きく寄与し、また、心因的な要因もあるので、損害の算定にあたりこれらを斟酌すべきであると主張する。

しかしながら、まず、被害者に身体的な素因があり、それが損害の発生ないし拡大に寄与しているからといつて、そのことで直ちに加害者側に有利に斟酌するのは相当でないと考えられるところ、本件においては、前認定のとおり、反訴原告が後縦靱帯骨化という身体的素因を保有するに至つた事情に責められるべき点はなく、また、本件事故前、これに伴う症状は発現しておらず、健康に働いていたものであり、そこに軽微とはいえない衝撃が頸部に加わり、症状が出てきた(しかも、外傷による症状の併存も否定できない。)と認められるのであつて、これらの点を考慮すると、損害賠償額の算定にあたり、後縦靱帯骨化症の存在を右のように斟酌するのは相当でないと考えられる(なお、反訴原告には、椎間板の変性所見など、ある程度の加齢変化も認められるが、これも斟酌すべき身体的素因ということはできない。)。ただ、反訴原告の訴える諸症状については、他覚的所見に比べると自覚症状は相当程度強く、不定愁訴が多いうえ、植田病院で症状固定をいわれたのに納得せず、自ら希望して漫然と長期間の治療を継続していたこと、その他前記認定の症状の経過等の事情を併せ考慮すると、反訴原告の心因的な要因がその治療の長期化、損害の拡大に寄与したものと推認することができ、前記諸事情を総合勘案すると、その割合は二割程度と見るのが相当である。

三  損害

1  治療費 三九四万六二六六円

(一)  福西外科診療所分 一万六九四〇円

前掲甲第一一号証によれば、反訴原告の福西外科診療所における治療に右金額を要したことが認められる。

(二)  植田病院分 三九二万九三二六円

昭和五九年一一月二一日から昭和六一年九月三〇日までの植田病院における治療に要した費用は、以下のとおり、合計三九二万九三二六円と認められる。

(1) 59・11・21~59・12・31

八三万九一四〇円(前掲乙三の一)

(2) 60・1・1~60・12・31

二六六万三〇五八円(同乙三の二)

(3) 61・1・1~61・2・28

二万四〇七八円(同甲一二の一)

(4) 61・3・1~61・3・31

一万五一二四円(同甲一二の二)

(5) 61・4・1~61・5・31

一万二五七二円(同乙二九)

(6) 61・6・1~61・9・30

三七万五三五四円(同乙三〇)

2  植田病院文書料 六〇〇〇円

成立に争いのない乙第二八号証によれば、診療報酬明細書三通分として右金額を要したことが認められる。

3  入院雑費 一六万六一〇〇円

植田病院に一五一日間入院した期間中、一日当たり一一〇〇円の雑費を要したものと推認することができる。

4  通院交通費 七万一九一〇円

前記のとおり、反訴原告は植田病院に四二三日間通院したところ、反訴原告本人尋問の結果(35~37項)によれば、そのうちの約半分の回数の通院にバスを利用し、一日当たり往復に三四〇円を要したことが認められるので、七万一九一〇円をもつて本件事故による相当損害と認める。

5  休業損害

(一)  給料分 四七〇万六七八〇円

前記のとおり、反訴原告は、本件事故当時、北港タクシー株式会社にタクシー運転手として勤務していたところ、成立に争いのない甲第九号証の二によれば、本件事故前の三か月間、一日当たり一万一一八〇円の収入を得ていたことが認められる。

そして、前記の受傷の内容、程度、治療状況、反訴原告の勤務内容等を考慮すると、反訴原告は、本件事故の日から植田病院を退院した日である昭和六〇年四月三〇日までの一六二日間は一〇〇パーセントの、同年五月一日以降症状固定日である昭和六二年九月三〇日までの五一八日間は五〇パーセントのそれぞれ就労能力の制限を受けたものと認めるのが相当であり、したがつて、反訴原告の被つた休業損害は、次のとおり、四七〇万六七八〇円となる。

(算式)

11,180×162+11,180×518×0.5=4,706,780

(二)  衣料品店経営分 〇円

反訴原告は、タクシー運転手として稼働する傍ら、自宅において衣料品販売業を営んでいたと主張する。

しかしながら、前掲乙第一一号証、反訴原告本人尋問の結果によれば、反訴原告は、北港タクシー会社では無遅刻、無欠勤で営業成績も常に上位であつたこと、扱つているという商品は、女性物が中心であること、反訴原告は、右衣料品販売業について税務申告をしており、そのための資料もあるというのに(32、54項)、それは本件訴訟に提出されないこと、また、仕入れ、販売等の請求書、領収書等も存在する(反訴原告本人50項)にもかかわらず、信用するに足りる帳簿類、領収証等も一切提出されないこと(反訴原告は、乙第一四ないし第二二号証の売上帳、出入帳、請求書綴を援用するが、取引先等の具体的な記載がないもので、信用するに足りるものとはいえない。)が認められるのであつて、以上の点に鑑みれば、反訴原告が自ら経営していたとはいえないのは勿論、そのことで収入を得ていたと認めることは到底できないというべきである(衣料品の販売をしていたとしても、反訴原告の妻が自宅で注文を受けて販売していたにすぎないと認めるのが相当である。)。

6  商品損害 〇円

反訴原告は、前記受傷のため、衣料品販売業を廃業し、そのため商品がスクラツプ化したと主張し、乙一三号証等を援用するが、前記のとおり、反訴原告が衣料品販売業を行つていたとは認められないので、商品損害の主張も認めることはできない。

7  後遺障害による逸失利益 五八六万六〇八七円

前記のとおり、反訴原告は、本件事故により、九級一〇号に相当する後遺障害が残つたものというべきところ、その障害の程度、反訴原告の経歴等を考慮すると、反訴原告は、前記後遺障害により、症状固定後からの就労可能な六年間について、その労働能力の三五パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。

ところで、前記のとおり、反訴原告は、タクシー会社にタクシー乗務員として勤務し、同年齢の男子労働者の平均賃金よりも高額の収入を得ていたものであるが、その仕事の内容、反訴原告の年齢等を考慮すると、反訴原告が前記六年間を通じて前記収入を得られる蓋然性は低いと認められるので、反訴原告の勤務状況、健康状態等を考慮し、反訴原告は、前記六年間を通じて、平均して前記収入の八割程度の収入が得られたものと推認するのが相当である。

そこで、右年収額を基礎に、ホフマン式計算法により中間利息を控除して反訴原告の被つた逸失利益の現価を算出すると、次のとおり、五八六万六〇八七円(円未満切捨て。以下、同じ)となる。

(算式)

(11,180×365×0.8)×0.35×5.134=5,866,087

8  慰謝料 六〇〇万円

以上認定の諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて反訴原告が受けた肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料としては、入通院分及び後遺障害分を合わせて六〇〇万円とするのが相当である。

(以上合計 二〇七六万三一四三円)

四  寄与度減額

前記二4で認定、説示したことを考慮すると、前記損害額全部から寄与度に応じた減額をするのが相当であり、これにより二割を控除すると、反訴原告が請求しうべき残損害額は一六六一万〇五一四円となる。

五  損害の填補

1  反訴原告が本件事故による損害の填補として以下の(一)、(二)、(三)(1)(2)の支払いを受けたこと(抗弁2)は当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第四号証の二によれば、東大阪労働基準監督署から(三)(1)の金額が植田病院に支払われたことが認められる。

(一)  自賠責保険から七二万円

(二)  訴外日動火災海上保険株式会社から三〇四万八〇〇〇円

(休業損害名目)

(三)  東大阪労働基準監督署から

(1) 休業補償給付金 六一万六六七六円

(2) 休業特別支給金 八三万三二八二円

(3) 療養補償給付金 二七八万六八一二円

2  しかしながら、右労災からの給付のうち、休業特別支給金は、労働者災害補償保険法二三条に基づく労働福祉事業の一環として、労働者の福祉の増進を図るために支給されるもので、損害填補のためのものではないから、損害賠償から控除すべきものに当たらないというべきである。

そこで、前記損害額から休業特別支給金を除くその余の填補額合計七一七万一四八八円を控除すると、反訴原告が請求しうべき残損害額は、九四三万九〇二六円となる。

六  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係にたつ損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は九〇万円と認めるのが相当である。

七  結論

以上のとおりであるから、反訴原告の請求は、反訴被告らに対し、本件損害賠償として、各自一〇三三万九〇二六円及びこれに対する本件事故の日である昭和五九年一一月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので、その限度で正当として認容するが、その余の請求は理由がないから、失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 二本松利忠)

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